3月11日:(東日本大震災5年)教訓生かす被災工場 立ち直り、地域経済に貢献

2016年3月11日

朝日新聞20163110500
(東日本大震災5年)教訓生かす被災工場 立ち直り、地域経済に貢献http://www.asahi.com/articles/DA3S12251838.html

 

 5年前の3月11日に発生した東日本大震災では、工場や店舗も大きな被害を受けた。多くは苦難を乗り越えて立ち直り、再び地域経済に貢献している。教訓をもとに防災の取り組みも進んだ。ただ、事業継続への備えではなお課題が残る。

 宮城県石巻市。日本製紙石巻工場の赤白の煙突から立ち上る水蒸気は、地域の復興のシンボルの一つだ。工場の隣では2018年の稼働を目指して建設中の発電所の基礎工事が進む。

 工場は津波で浸水し、機械に動力を送る電気系の設備がほぼ全滅した。被害額は約1千億円を数えた。勤務していた約1300人は高台に逃れて無事だったが勤務外の社員や関係会社の社員ら20人が亡くなった。

 当時の芳賀義雄社長(現会長)が震災の2週間後に工場の復興を宣言。12年8月には約15%の生産能力を下げた形で復旧した。同社広報室は「石巻が主力工場の一つという位置づけは今後も変わらない」と話す。

 工場のあちこちに、当時の津波の高さを示す看板が立つ。災害時に必要な物資は震災以前より高いところに置いている。

 半導体大手ルネサスエレクトロニクスは主力の那珂工場(茨城県ひたちなか市)が壊れ、自動車業界あげての応援で約3カ月後に生産再開にこぎつけた。生命線のクリーンルームが壊れにくいよう天井やケーブルを補強。建屋に揺れを抑える装置を取り付けた。

 太平洋セメントは、設計図などが津波で流された反省から、保管場所を事務所がある1階から2階に変えた。ガスタンクが爆発したコスモ石油は、タンクの支柱を太くし、液状化を防ぐよう地盤を改良した。ローソンは、配送網が寸断されて店に商品が届かなかった経験を踏まえ、震災直後に店内でおにぎりをつくった東北の12店をモデルに、災害時などに店内調理ができる設備を備えた店を全国約3100店に増やした。

 ■広がる事業継続計画、課題も

 東日本大震災は、災害時にも事業を続けるための備えに対する企業の意識を高めた。内閣府の13年度の調査では、回答した大企業約1千社のうち、事業継続計画(BCP)を策定済みと答えた企業が初めて半数を超えた。震災前の09年度調査では3割弱だった。ただ、BCPについて「策定の予定がない」「知らなかった」という回答も1割強あった。

 完璧なBCPをつくることも難しい。トヨタ自動車は、震災で生産が滞った経験を踏まえ、調達先が少ない部品を余分に持つようにし、生産拠点や調達先の分散化も進めた。緊急時の代替生産先をあらかじめ確保する対策もとった。

 それでも今年1月、グループの愛知製鋼の知多工場(愛知県)で爆発事故が起きると鋼材部品が足りなくなり、国内全工場が翌月、1週間の停止に追い込まれた。競争上の理由で、愛知製鋼が独自の製法を他社に開示できず、代替生産先がなかったためだ。トヨタで部品調達を担当する増井敬二専務役員は「代替材の確保に想定以上に時間がかかった」と話す。