2002年4月27日 設立記念講演 資料 有害化学物質管理とPRTR情報の活用 |
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横浜国立大学大学院 環境情報研究院 教授 1.はじめに20世紀の後半という、生命の歴史、人類の歴史からすれば極めて短期間に、人類は多種類で大量の化学物質を生産、使用するようになった。米国のChemical Abstract Serviceには、2001年12月現在で約3,500万種類の化学物質が登録され、このうち日本では約7〜8万物質が商業的に製造・販売されている。また、合成化学物質の不純物、燃焼・焼却過程や水の塩素処理、自然界での分解生成物など非意図的に生成する物質も極めて多い。 これらの化学物質のうち、発がん性、一般慢性毒性、生殖毒性、感作性、水生生物毒性などの毒性情報が揃っている物質はほとんどない。これらの毒性のうちのいづれか一つでも、信頼できる機関から情報が得られている物質は、4,000種類程度であり、市販されている化学物質の約5%にすぎない。人や生態系に比較的強い毒性があるとされている物質の中には、大量に市販されている化学物質も多数あり、また、環境中からも1,000種類程度の多様な化学物質が検出されている。しかし、環境基準や排出基準が定められている化学物質は数十しかない。このような状況の中で、1992年の国連環境開発会議(地球サミット)の「21世紀に向けた具体的行動計画(アジェンダ21)」の第19章に「化学物質の適正な管理」のための課題がまとめられ、これを基に、様々な新しい国際的な取り組みが進められている。 ここでは、有害化学物質の管理と削減のための国内外の流れとPRTRの重要性について述べるとともに、当研究室の研究成果を基に、エコケミストリー研究会がインターネットWebサイトで発信しようとしているPRTR情報の提供の考え方と事例を紹介し、「有害化学物質削減ネットワーク」への期待を述べたい。
2.有害化学物質管理制度の流れ従来の化学物質のリスク管理は、主に規制が中心で、行政は規制を守らせ、監視し、企業は規制を守るだけで、規制対象物質以外については、ほとんど測定も行わず、対策も行わない状況であった。また、市民も行政に任せたり、苦情を言ったり、あきらめたりする状況であった。 しかし、15年程度前から、先進的な都道府県で化学物質の予防的な自主管理を求める条例や要項等を定める動きが出はじめた。また、成層圏オゾン層破壊や地球温暖化などの地球環境問題が国際的に大きな問題となり、1988年にウイーン条約とモントリオール議定書に基づくオゾン層保護法が制定された。1992年には地球サミットが開かれた。日本でも1993年に公害対策基本法が環境基本法に変わったことから、個別地域の公害対策だけでなく、政府が定める環境基本計画に基づいて、地球環境をも考慮し、化学物質対策を含めた「循環」型社会の実現、自然との「共生」、各主体の行動への「参加」および「国際的取り組み」という4つの基本方針で環境政策が進められることになった。 このような動きの中で、1996年に大気汚染防止法が改正され、22種類の「優先取り組み物質」が定められ、発生源となる主要業種の業界団体が全国での削減計画を提出・公開し、チェックを受けた後、自主的に削減を図るという全く新しい化学物質対策が導入された。また、1999年にはダイオキシン特別措置法と後述するPRTR法が制定された。 一方、国際標準化機関(ISO)では、環境管理、環境監査、環境ラベル、ライフサイクルアセスメントなどに関する国際規格化を検討し、自主的な環境管理のISO14001規格を定めた。これにあわせたJISも制定され、多くの日本企業がこの規格認証を受けるようになった。この中でも有害化学物質の自主管理が進み、環境報告書の公表や環境会計の公表なども行われはじめている。 また、経済協力開発機構(OECD)では、拡大生産者責任の勧告の準備が行われており、国内でも2000年に「循環型社会形成促進基本法と関連5法」が成立または改正された。これに伴って、化学物質を含めた廃棄物発生量の削減、回収・再利用、破壊・無害化等が求められるようになった。 2001年には、国連環境計画(UNEP)の残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約が採択され、2001年には「PCB廃棄物処理法」と業務用冷凍空調機器やカーエアコンの冷媒フロンを対象とした「フロン回収破壊法」が制定された。2002年には、「土壌汚染対策法」が制定見込みである。 さらに、環境ホルモン(外因性内分泌撹乱物質)がマスコミなどで大きく取り上げられたことから、野生生物への影響についても不安と関心が高まり、生態系保護を考えた環境基準の制定が検討されている。また、化学物質過敏症が深刻化していることから、室内の化学物質汚染に対して、厚生労働省が幾つかの物質について指針値を定め、関係省庁がそれぞれ対策を打ち出してきている。 このように、ごく最近になって化学物質管理の制度や考え方が大きく変わってきている。すなわち、変化の大きな流れの一つは、従来から問題が指摘されていたにもかかわらず、適切な措置がとられてこなかったフロン、ダイオキシン、PCBなどの物質、あるいはトリクロロエチレン等による土壌汚染等の「環境不良債権の処理」が進み始めたことであり、もう一つの流れは、PRTRに代表されるような科学的な知見が不十分な物質をも含めた「包括的・予防的な管理」が導入されてきたことである。 このような大きな流れの中で、NGOの果たす役割は極めて大きくなってきている。
3.PRTR制度の重要性地球サミットのアジェンダ21では、人や野生生物に対して潜在的に有害と考えられる多数の化学物質に対して、「排出量や移動量を調査して公表すること」、「製品に成分を表示すること」、「経済的な措置を進めること」、「その他様々な方法を組み合わせて包括的かつ予防的に化学物質の環境安全対策を進めること」が求められている。また、「市民の有害化学物質についての知る権利を認めるべきである」とされている。 このような考え方に基づいて、1996年にOECDは加盟各国に「環境汚染物質排出・移動登録(PRTR)」の導入を勧告した。これを受けて、日本では、1999年に「特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律:略称PRTR法または化学物質管理促進法」が制定された。 この日本のPRTR制度は、従業員21人以上の企業等が354の対象化学物質(群)ごとに各事業所から環境へ排出している量や廃棄物として移動している量を把握し、その結果を都道府県を通じて国に届出し、また、国が報告対象外からの排出量を推計し、併せて都道府県別に集計して国民誰もが利用できる形で公表する。また、請求に応じて個別事業所のデータも公表するというものである。 なお、この法律では化学製品中の435物質について化学物質安全性データーシート(MSDS)の提供義務を課すたこと、自主管理の強化を図る指針を定めることなども規定された。 このPRTRは、従来の化学物質管理と以下の点で大きく異なり、画期的なものである。
すなわち、今後の化学物質管理は、特定の少数の物質を行政が規制・監視し、事業者は規制を守り、市民は行政に任せたり要求するだけではなく、「多数の有害化学物質を行政と事業者とNGO・市民が情報を共有し、リスクコミュニケーションを行いながら、協力して管理する」ことになる。この点を、行政も事業者も、また、NGO・市民もしっかりと認識する必要がある。 このPRTR制度では、2001年度分の排出・移動量が2002年度に報告され、2002年度末までに、報告対象外の中小事業所や家庭および自動車等の移動発生源からの排出量および農薬の使用量が国から公開されることになる。 米国、カナダ、英国などでは、政府機関から提供されている排出量のPRTR情報をNGO等が加工して、インターネットで、地図上での地域情報、排出量の多い事業者のリストや関連情報等を公開している。 そこで、当研究室では、PRTR情報を解析し、環境リスクの高い物質や高い地域が明確になり、優先的に環境モニタリングや削減対策行うべき物質や地域の判断が容易にでき、リスクコミュニケーションや市民理解にも役立つように、分かりやすい形で表示する方法を研究し、その成果をエコケミストリー研究会のインターネットWebサイトで公開することを計画している。
4.エコケミストリー研究会からのPRTR情報の発信計画エコケミストリー研究会からのPRTR関係の情報発信については、既にホームページで「PRTR・MSDS対象物質の毒性ランクと物性情報」を公開し、また、化学工業日報社から出版している。 近く情報提供を予定しているPRTR報告データの解析情報は、基本的には、主に農薬として使用されている物質の「使用リスクスコア」、工業薬品や非意図的生成物質などの「排出リスクスコア」、全物質の「下水道放流リスクスコア」および「廃棄物発生リスクスコア」の四つのリスクスコアを47都道府県ごとおよび3,370の市区町村ごとに算出して地図および表の形で提供する予定である。 すなわち、農薬は一般環境中に排出される量ではなく、「使用量」が推計されるので、他の工業薬品等の「排出量」とは分けて考えることとした。また、公共下水道への放流や廃棄物処理の委託などの「移動量」も排出量とは区別する必要があるので分けて考えることとした。 すなわち、これら「使用量」「排出量」「移動量」を市区町村別に推計し、これを可住面積(人が住んで化学物質を使用・排出・移動する可能性のある面積)当たりにすることによって市区町村の大きさによる違いを補正した農薬の「使用密度」、工業薬品等の「排出密度」、全物質の「下水道放流密度」と「廃棄物発生密度」を求める。 次に、これらの密度に、人に対する毒性および魚・ミジンコ・藻類などの水生生物に対する毒性の重み付けをして積算し、人と水生生物それぞれについての農薬の「使用リスクスコア」、工業薬品等の「排出リスクスコア」、全物質の「下水道放流リスクスコア」および「廃棄物発生リスクスコア」を算出する。 これらの値を基に、以下のような情報を自由に検索できるようにする予定である。 I.農薬の使用情報の提供
II.工業薬品等の排出情報の提供
III.全物質の下水道放流と廃棄物発生情報の提供
これらの表や図の合計は、最大9万枚以上にも及び、これらを計算するには莫大な数のデータを収集し、解析して計算する必要があり、また、毎年更新する必要があるので、非常に大変な作業となる。 さらに、これらの表や図の求め方やその根拠、とくに毒性の重み付けの根拠についても情報公開する予定である。
5.有害化学物質削減ネットワークへの期待上記のような、大変な苦労をして、PRTR情報の公開を行っても、多くの方々に適切に利用されなければ意味がない。そのためには、今回設立された「有害化学物質削減ネットワーク」が以下のような様々な点で協力活動を行って下さることを期待したい。
また、「有害化学物質削減ネットワーク」が、上記のようなWebサイトの活用と同時に、有害化学物質削減のための市民活動の支援や有害化学物質管理方法についての政策提案を活発に行っていくことを期待したい。
参考文献
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